参考文献とモータースポーツ
「芸術の都」という異名が言い表すように、パリは絵画から彫刻、流行、音楽に至るまで、さまざまな芸術の世界的な中心地として名を馳せている。特に近年はパリコレクションや料理競技会の開催にみられるように、フランスを代表する服飾文化や食文化の分野で世界的な情報発信地となっている。パリは「芸術の都」「花の都」などと呼ばれてその文化的影響を世界に与え続け、結果、世界屈指の観光都市ともなった。そのために1989年の欧州文化首都に選ばれていた。毎年約4、500万人の観光客を受け入れ、その6割は国外からの人々である。[3]主な集客装置は、歴史的な建造物、数多くの著名な美術品、高級銘柄に代表される流行やグルメ等である。建造物は、中世以前のものも残るが、第三共和政期のパリ改造やベル・エポックの建造物、あるいはフランス革命200周年期のグラン・プロジェの建造物など、各時代の世界の最先端のものが多い。美術館には、フランスで活躍した著名な芸術家の美術品の他、戦利品や購買によって収集された世界一級の収蔵物が並ぶ。
フランス政府は地道な実績を積み上げている。特に悪質な団体を取り締まるために反セクト法(アブピカール法、セクト弾圧法、カルト防止法等数多くの俗称で呼ばれた、正確な日本語訳は「人権及び基本的自由を侵害するセクト的運動の防止及び取り締まりを強化する2001年6月12日の法律第2001-504号」である)を制定し、被害者救済を確立するために判例を積み重ね、犯罪の未然防止や活動内容の監視の為に各県に専門部署を設置したり、子供への教育と称して洗脳や酷い教育が行われていないか監視するための部門を設置するなど多岐にわたる。裁判や法律の制定を通じて、セクト被害やその救済という概念を刑法に作り上げようとしている。フランスのセクト対策に関しては疑問の声も多い。人種差別や宗教差別、人権無視に報道の自由の侵害など、少数派に対し不寛容な「人権の祖国」フランス政府の実態に対する疑問も提起されている。ただし疑問の声を提起する論者は、新聞記事の存在を無視する傾向が強い。新聞記事とこれらの疑問の声の間には内容に大きな乖離があり、信頼性については疑問符が付く。フランスのセクト対策は日本の大手新聞でも紹介されている。フランス政府のセクト選別基準はライシテを回避するため、犯罪性や人権侵害が基準になっている。このカルト対策を宗教弾圧だとする意見もあるが、宗教に干渉しているのでなく、政府は犯罪を取り締まっている。しかしフランス政府は単純な取り締まりだけを考えているわけでもない。報告書に見られるように、セクトは大衆の需要を満たし大衆の望むものを提供しているからこそ繁栄しているのであり、単純に弾圧できるものではない。またある団体の行動や習慣を異常と見るか、多文化と見るかも非常に難しい問題であると記述されている。多文化と異常行動の線引き、この難しい問題に対しフランス政府は西欧的人権や被害者の存在に根拠を置くことでバランスを取っている。
メデューズ号の筏 (1816 - 1819年、テオドール・ジェリコー)グランド・オダリスク(1814年、ドミニク・アングル)聖母子<美しき女庭師>(1507年、ラファエロ・サンティ)
将来的に洗礼を受けることを前提に、教会と交わる者を求道者(きゅうどうしゃ、カトリックおよびプロテスタントの用語)、啓蒙者(正教会の用語) などという。洗礼を受けるための条件やその式次第などは、教派によって異なる。詳しくは、洗礼の項を参照。信者が行う祈祷行為のうち、司祭や牧師らにより執行される公のものを公祈祷・典礼・奉神礼等という。信者でないものも列席することができるが、聖餐には与ることが出来ないのが一般的である。ほとんどの教派では定期的な公の礼拝を行う。公の礼拝は形式があらかじめ定められていることが一般的である。典型的な形を示すと、祈祷・聖書の朗読・聖体ないし聖餐にかかわる儀式がなされ、また司祭や牧師らによる説教が行われる。ここでの祈祷はしばしば歌唱を伴った聖歌や賛美歌のかたちで行われる。席上、信者からの献金が集められることが普通であるが、献金は義務ではない。聖餐のあと、短い祈りがあり、終了が告げられて礼拝が終わる。礼拝全体の時間は、教派によって異なるが、1時間から2時間ほどである。ほとんどの教派は日曜日を重視し、これを主日と呼んで共同の礼拝を行うが、少数ながら土曜日を公の礼拝の日とする教派も存在する。詳しくは、祈祷・典礼・奉神礼の項を参照。信者となったものは、それぞれの教派の聖餐に与ることができる。パンとぶどう酒がキリストのまことの肉と血になるという聖体の教義をもつ教派では、これを、ミサ、聖体礼儀と呼ぶ。他教派の類似の儀式に参加を許されるかどうか、また自教派が特定他教派の類似の儀式に参加を許すかどうかは、それぞれの教派によって考え方を異にする。またプロテスタントの教会のなかには、洗礼を受けていないものにも聖餐への参加を許すものがある。