新本格派とアメリカ

バロック時代のフランスの画家ニコラ・プッサンの代表作『アルカディアの牧人たち』では、墓石にラテン語でEt In Arcadia Ego(我はアルカディアにもある)と書かれているのを牧人たちが覗き込んで想いにふける様子を描いている。Et In Arcadia Ego(我はアルカディアにもある)は、並び替えるとI Tego Arcana Dei(立ち去れ!私は神の秘密を隠した!)となるとして、リンカーンらは、これをイエス・キリストの血脈に関する秘密と解釈した。 リチャード・アンドルーズとポール・シェレンバーガーは多くの単語がレンヌ=ル=シャトー地域の目印になっていて、彼らはその目印の場所を特定することができたと述べた。例えばLA CROIXはアレ・レ・バン北部で交差する鉄道である。これらの場所を羊皮紙文書の通りに訪ねると、正方形を横切る形になる。これを受け、問題の絵はイエスの墓の位置を示しているとして、南フランスの山中『Rennes-le-Chateau(レンヌ=ル=シャトー)』にその位置を推定した。 (→キリストの墓)テンプル騎士団がスコットランドに逃れて100年後に、テンプル騎士団の子孫『ヘンリー・シンクレア』が大西洋を西に向かって謎の航海をしたという記録がある。サン・ベルナールの調査によるとテンプル騎士団は財産をカナダの東海岸(大西洋側)に位置するノバスコシアなどに隠したとされ、一部はアメリカにも渡ったともされている。また、『聖杯はヘラクレスの柱の向こうに眠っている』という記述もあり、カナダ説を裏付けているとされるが、『ヘラクレスの柱』の位置問題はアトランティスの研究過程でも問題となっている。トレヴァ・レヴンズクロフト氏は1962年に20年の研究の末に、スコットランドのミドロシアン州ロズリンにある『ロズリン・チャペル』の螺旋柱の中にあると発表した。しかし柱という柱、建物内のすべてが金属探知機で調べられたが、結果は得られなかった。つまり、その情報は誤っていたか、『ロズリン・チャペル』に一時的に保管され、その後に『ロズリン・チャペル』以外の場所に移動された可能性もある



大学院プログラムはハーバード大学の中核である。大学院は、リベラルアーツのGSASなどのほか、ビジネス・スクール(HBS、経営学大学院)、ロー・スクール(HLS、法科大学院)、ケネディスクール(HKS、行政・政治学大学院)、メディカル・スクール(医学)などの専門職大学院がある。ロースクールはハーバードヤード北側、ケネディスクールはヤードから少し離れた場所にある。ビジネススクールはチャールズ川をはさんだオールストン(ボストン)キャンパスに、メディカルスクールは距離的に離れたロングウッド(ボストン)キャンパスにある。これらの大学院は全米で常にトップクラスにランキングされている。図書館システムは1530万冊の蔵書を持ち、大学図書館として世界最大級の規模を誇る。この規模は、米国議会図書館に次いで全米2位の蔵書数であり、世界では米国議会図書館、大英図書館、フランスのビブリオテーク・ナショナルに次いで4位となっている。図書館システムの中心にあるのは、ワイドナー記念図書館であり、その他、90個あまりの図書館を有する。例えば、多数の日本語書籍を所蔵するイェンチン図書館やカウントウェイ医学図書館などがある。ハーバード大学の巨大なシステムを支えているのは、寄付金などを蓄積してきた349億ドル(2007年度・約4兆円)という米国内はもとより、全世界でも飛び抜けて巨大な大学基金とその運用であり、全米2位イェール大学の2倍近くある。年間の寄付金(エンダウメント)は、約800億円。(参考までに、世界的な研究教育拠点の形成と銘打つ日本の21世紀COEプログラムは年間全予算が約370億円である。)



他にも、1910年(明治43年)には徳川好敏がフランスの飛行機の操縦技術を学び、フランス製のアンリ・ファルマン式複葉機を持ち帰り、同年12月19日に代々木練兵場で初飛行した。 徳川好敏は、日本人として日本の空を飛んだ初めてのパイロットである。1918年(大正8年)1月の第一次世界大戦中にフォールフランス陸軍砲兵大佐を団長にした、63名のフランス航空教育団を日本に派遣した。日本での初飛行や航空教育は、陸軍所沢飛行場(現・所沢航空記念公園)で行われた。また、日本海軍は当初フランスの海軍軍人を顧問としていたことから、フランス海軍の影響が強いと言われる。フランスの国防政策は1959年にシャルル・ド・ゴール政権が制定した「国防組織法」によって運営されている。大統領が最高司令官であり、その指導のもとに内閣委員会が国防政策、将官の任免、総動員令や戒厳令の宣布などの意思決定機関として機能する。核兵器を有しており、海軍の弾道ミサイル搭載原子力潜水艦により運用される。フランス革命からの徴兵制を廃止して志願制を採用した。フランス軍は陸軍、空軍、海軍及び憲兵からなり、2002年の総兵力は44万人うち、陸軍17万人、空軍7万人、海軍5.6万人、憲兵9.8万人、その他機関4万人であった。



アンリ4世の即位によりパリは名実ともにフランスの首都の座を回復した。これ以降パリ市内ではテュイルリー宮殿、リュクサンブール宮殿、廃兵院などの大規模建築が相次いで作られた。しかしルイ14世はパリ郊外のヴェルサイユに造営した離宮に政治の本拠を移し、ルイ16世の治世の末期までヴェルサイユが政治の中心となった。1789年7月14日、パリ市内で発生したバスティーユ襲撃によってフランス革命が勃発した。ヴェルサイユ行進でルイ16世が強制的にパリのテュイルリー宮殿に戻されてからは、革命の重要な事件の多くがパリで発生した。19世紀のパリは政治的には安定しなかったものの、産業革命の到来により経済的、文化的には繁栄した。



さらに詳しく